日本語教育

JLPTの級で日本語能力を判断してはいけない理由

TalkJPN for Business

履歴書にN1合格と書かれていた人が、入社後、業務指示書の「屋上」を読めなかった。

これは、その人が試験をごまかしたわけでも、能力が落ちたわけでもありません。試験と現場が、そもそも違うものを測っているだけです。

そして、この行き違いは採用のたびに起きます。級を信じて採った人が現場で困り、現場は「日本語ができない人を採ってきた」と言い、経営者は「N1なのに」と首をひねる。全員が誠実なのに、全員が損をします。

結論:試験は広く浅く測り、現場は狭く深く求めます

先に結論を書きます。日本語の試験は、どんな職場でも共通して使う言葉を、広く浅く測るように作られています。

一方で現場が求めるのは、その職場でしか使わない言葉を、確実に扱えることです。宿泊の現場なら客室清掃の用語、厨房なら食材と調理法、設備なら機器の名称。これらは試験に出ません。出ないものを、試験は測れません。

当たり前のことですが、採用の場面ではこれが忘れられます。級という一つの数字が、実際には保証していない範囲まで保証しているように見えてしまうからです。

「屋上」が読めないのは、なぜ不思議ではないのか

試験の語彙は、日常生活と、新聞や説明文のような文章から選ばれています。学習者が教科書で出会う順番も、だいたいそれに沿っています。

ところが業務で使う漢字は、別の理屈で選ばれています。その建物にその設備があるから使う。その作業があるからその動詞を使う。「屋上」「客室」「備品」「厨房」「配膳」——どれも、生活の中では滅多に書き言葉として出会いません。

つまり、業務の漢字と生活の漢字は、重なってはいるものの、別の集合です。片方を深く学んだからといって、もう片方が自動的に読めるようにはなりません。

逆のことも起きます。清掃の現場で毎日「浴槽」を扱っている人は、その字を確実に読めます。試験には出ないので、級には反映されません。級が低いのに現場で強い人は、この理由で生まれます。

級が上がっても、測っていない領域は残ります

もう一つ、見落とされやすい点があります。級が上がることで埋まる範囲と、埋まらない範囲があることです。

上位の級が測るのは、主に難しい語彙と、長い文章を読む力、速い話を聞き取る力です。つまり難しさの方向が、現場語彙とは別を向いています。難しい評論文を読める人が、その職場の備品リストを読めるとは限りません。

そして、試験に含まれない能力があります。自分から話す力です。多くの日本語試験は、読む・聞くを中心に測ります。話す場面がなければ、話す力は測られません。

さらに測られないのが、聞いて、その場で動く力です。試験の聞き取りは、静かな部屋で、はっきりした音声を、一度か二度聞いて答えます。現場は、機械音がして、複数の人が同時に話し、相手はこちらを見ずに言い、言い直してはくれません。同じ「聞き取り」でも、条件がまったく違います。

それでも、級を見る意味はあります

ここまで書くと、試験は無意味だと言っているように読めるかもしれませんが、そうではありません。級には、級にしか分からないことが表れています。

一つは、学習を続けられたという事実です。試験に向けて何か月も準備し、受験し、合格するには、継続する力が要ります。これは業務でも効きます。

もう一つは、文法の土台です。助詞の使い分けや、丁寧な言い方の仕組みを一通り通っていれば、現場の言葉を教えたときに入る速さが違います。土台がある人は、覚えるのが速い。

大事なのは、級を見ないことではなく、級が何を保証していないかを知ったうえで見ることです。級は、学習の土台と継続力の証拠にはなります。その職場で働けるかどうかの証明にはなりません。

なお、級そのものが公式に何を保証していると整理されているかは、別の記事にまとめました。求人票に「N4以上」と書いている場合は、あわせてお読みください。

→ N4合格は何を保証して、何を保証しないのか

「N1なのに」という一言が、本人から奪うもの

実務上、見過ごせない副作用があります。

級と現場の食い違いを「本人の問題」として扱うと、現場では「N1なのにこれが読めないのか」という言い方になります。言うほうに悪意はなく、率直な驚きであることが多い。

しかし言われたほうには、こう聞こえます。自分は合格した、その事実は職場に評価されていない、そして今できないことは自分の落ち度だ、と。

ここから起きることは決まっています。分からないと言わなくなるのです。級が高いほど、「これが分からない」と口にする心理的な代償が大きくなるからです。結果として、いちばん聞いてほしい人が、いちばん聞かなくなる。

級を過大評価することと、級を持つ人を責めることは、同じ誤解の裏表です。読めなかったのは本人の落ち度ではなく、その語を職場がまだ教えていないだけだと、最初に言葉にしておいてください。この一言があるかないかで、その後の半年が変わります。

採用の場で、級の代わりに何を見るか

面接の限られた時間でできる、具体的な方法を挙げます。特別な道具は要りません。

実物を読んでもらう

自社の業務指示書やチェックリストを一枚、そのまま渡して、声に出して読んでもらいます。書き換えたり、易しくしたりしないでください。現場で実際に渡す紙を、そのまま使うことに意味があります。

読めない字があるのは当然です。見るのは、読めるかどうかではなく、読めない字に出会ったときにどうするかです。

音で渡して、動いてもらう

紙を見せずに、口頭で二つか三つの指示を出して、その通りに動いてもらいます。「まずこれを片づけて、それが終わったらこちらに持ってきてください」のような、順番のある指示が向いています。

多くの現場で困るのは、語彙の不足ではなく、複数の指示を順番どおりに保持できないことです。これは級では分かりません。

分からない語に出会ったときの反応を見る

これがいちばん大事です。

知らない言葉が出たとき、その人は聞き返すか、黙るか、推測で進むか。ここで推測して進む人は、日本語が上手でも現場では危ない。理由は別の記事に書きました。

→ 「多分大丈夫です」が現場でいちばん危ない言葉である理由

面接で「分かりません、もう一度お願いします」と言える人は、現場でも言えます。逆に、面接という緊張した場で取り繕う人は、忙しい現場ではもっと取り繕います。

経営者が明日できること

  • 求人票の日本語要件から、級だけの表記をやめる。「業務指示書を読んで質問できること」のように、業務で必要なことを書く
  • 面接で読んでもらう紙を一枚選ぶ。現場で実際に使っているものにする
  • 口頭で出す指示を二つか三つ、決めておく。面接ごとに同じものを使えば、応募者どうしを比べられる
  • 採用後に「読めなかった字」を記録して、入社時の教材にする。次の採用の面接材料にもなる

級は、応募者を並べるには便利です。しかし並べたあとに何を見るかを決めていないと、便利さだけが残って、判断は雑になります。

級で足切りをする前に、自社の紙を一枚、読んでもらってください。それだけで、級より多くのことが分かります。


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本記事は2026年9月時点の法令・行政資料に基づきます。

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