インドネシア語話者がつまずく日本語|長音・促音・撥音はなぜ難しいか
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研修では「いらっしゃいませ」をきちんと言える。ところが忙しい時間帯になると、「いらしゃいませ」に聞こえる。「ビールをお持ちしました」が「ビルをお持ちしました」になる。
本人に言い直してもらうと、正しく言えます。だから現場では「気が緩んでいる」「もっと練習させよう」という話になりがちです。
しかし、インドネシア語を母語とする人にとって、この崩れ方にははっきりした理由があります。そしてその理由を知ると、練習の量を増やしても直らないことが分かります。
結論:足りないのは練習の量ではなく、長さを聞き分ける練習です
先に結論です。のばす音(長音)、小さい「っ」(促音)、「ん」(撥音)でつまずくのは、音の長さで意味を区別する仕組みが、母語にないからです。
仕組みがないので、本人の耳には「ビール」と「ビル」の違いが、日本人が感じるほどはっきりとは届いていません。そして、聞き分けられない違いを言い分けることはできません。
だから、正しい言い方を繰り返し言わせる練習をいくら増やしても、効果は限られます。必要なのは、まず聞き分ける練習、次に長さを数える練習、最後に現場の速さで言う練習という、種類の違う練習です。
日本語は「拍」で刻む言語です
背景を説明します。専門的な言葉が少し出てきますが、仕組みは単純です。
日本語は、**拍(はく)**という単位でリズムを刻みます。拍は、かな一文字にほぼ対応する長さの単位で、専門的にはモーラと呼ばれます(小さい「ゃ・ゅ・ょ」だけは、前の字と合わせて一拍です)。「さ・く・ら」は三拍、「ビ・ー・ル」も三拍、「ビ・ル」は二拍です。
大事なのは、のばす音、小さい「っ」、「ん」が、それぞれ一拍として数えられることです。この三つは、ほかの音と違って単独では音のまとまりを作れないため、まとめて特殊拍と呼ばれます。
日本人は、この一拍の差を意味の差として聞いています。「おばさん」と「おばあさん」、「きて」と「きって」は、長さが一拍違うだけで別の言葉です。
インドネシア語は「音節」で刻む言語です
一方、インドネシア語は**音節(おんせつ)**という単位でリズムを刻む言語です。音節とは、母音を中心に、その前後に子音がついた音のまとまりのことです。こうした言語を、シラブルタイミング言語(音節で拍子をとる言語)と呼びます。
音節で刻む言語では、音節の中身が多少長くても短くても、それで意味が変わることはありません。「ん」に似た鼻音もありますが、前の母音とひとまとまりの音節の一部として発音され、それだけで一拍分の長さを持つことはありません。
つまり、インドネシア語を話す人は、生まれてからずっと、長さの違いを「意味に関係のない揺れ」として聞き流す耳で言葉を聞いてきたことになります。能力の問題ではありません。母語がその区別を求めてこなかった、というだけのことです。
母語の仕組みが、新しい言語の学び方に持ち込まれることを、言語学では「転移」と呼びます。似ているところは助けになり、違うところはつまずきになる。二つの言語を比べて、難しくなる場所を前もって見つけようとする考え方は、対照分析と呼ばれています。
三つの音で、つまずき方は少しずつ違います
同じ「長さ」の問題でも、現れ方は三つの音で少しずつ違います。
のばす音:のばしたつもりでも、のびていない
「ビール」が「ビル」に、「ご注文(ごちゅうもん)」が「ごちゅもん」に聞こえる。反対に、短いはずの音をのばしすぎることもあります。
どちらの方向にもずれるのは、本人が長さを基準に発音していないからです。のばす場所を「なんとなく長め」で覚えているので、話す速さが変わると、長さも一緒に崩れます。
小さい「っ」:抜ける、または入りすぎる
「いらっしゃいませ」から小さい「っ」が落ちる。「チェックアウト」が「チェクアウト」になる。反対に、「来て」が「来って」のように、ないはずの場所に詰まりが入ることもあります。
小さい「っ」は、次の音を出す口の構えを、一拍分保ったまま止める音です。何も鳴っていない、いわば一拍分の沈黙です。沈黙の長さで意味を区別する仕組みは母語にないため、どこに入れるかの手がかりがつかみにくいのです。
「ん」:前後の音に溶ける
「ご案内(ごあんない)」の「ん」が短くなって次の音に吸い込まれ、「ごあない」に近く聞こえる。
インドネシア語の鼻音は、前の母音と一体になった音節の一部です。日本語の「ん」は、それだけで一拍分の長さを持ちます。しかも、次に来る音によって口の形が変わります。「さんぽ」では唇を閉じ、「かんじ」では舌先を歯ぐきにつける。「ん」を、形を変えながらも一拍として保つという感覚が、三つの中でいちばんつかみにくい部分です。
研修では言えるのに、現場では崩れる理由
冒頭の「言い直すと言える」という話に戻ります。
これは、長さを頭で補っているときに起きることです。言い直すときは、「ここはのばす」「ここで止める」と確かめながら言えます。しかし、お客様の前で、次の動作を考えながら話すときには、その確認に回す余裕がありません。余裕がなくなると、母語のリズムに戻ります。
ここから分かることが二つあります。
一つめ。研修の場で言えることは、現場で言えることの証拠になりません。 落ち着いた場面の確認で合格していても、忙しい時間帯の発話は別物です。
二つめ。言い直しを繰り返させても、自然な速さの発話は直りません。 言い直しで鍛えられるのは「頭で補う力」であって、長さを耳で捉える力ではないからです。補う力は、忙しくなると真っ先に消えます。
練習の種類を、三段階で変えます
では、何をすればよいか。練習を三つの種類に分け、この順に進めます。
第一段階:聞き分ける
最初は、言わせません。聞かせて、選ばせます。
「ビル」と「ビール」、「きて」と「きって」、「かい」と「かんい」のように、長さだけが違う二つの言葉を聞かせ、どちらだったかを答えてもらいます。一か所だけが違う言葉の組を、最小対(ミニマルペア)と呼びます。
聞き分けから始めるのは、先に書いたとおり、聞き分けられない違いは言い分けられないからです。人は新しく出会った音を、まず母語の中のいちばん近い音の仲間として聞きます。この現象は知覚同化と呼ばれます。「ビール」を「ビル」の仲間として聞いているうちは、いくら「のばして」と言われても、本人には何をのばせばよいかが分かりません。
言葉は業務の中から選んでください。「ご注文」「少々お待ちください」「ご案内します」「チェックアウト」。取り違えると業務に影響が出る言葉を優先します。
第二段階:拍を数える
聞き分けられるようになったら、次は長さを体で数えます。
手を打つ、指を折る、机を軽くたたく。一拍に一回ずつ動作を合わせながら言います。「い・ら・っ・しゃ・い・ま・せ」なら七回です。小さい「っ」のところでも手を打つのがポイントで、音の鳴っていない一拍を、動作で見えるようにします。
耳だけに頼っていた長さの判断を、動作という別の手がかりに置き換える練習です。母語のリズムに引き戻されそうになったとき、手の動きが基準になります。
第三段階:速さと負荷を上げる
最後に、現場の速さに近づけます。
ゆっくりなら言えるようになったら、少しずつ速くする。次に、ほかの動作をしながら言う。お盆を持ちながら、伝票を見ながら、というように、現場と同じ負荷がかかった状態で崩れないかを確かめます。
研修では言えて現場で崩れるのは、この第三段階が抜けているからです。多くの研修は、落ち着いた状態で正しく言えたところで終わっています。
評価の仕方も合わせて変えてください
練習の種類を変えるなら、確かめ方も変える必要があります。
研修室で「言えるかどうか」を見るだけでは、第三段階ができているかは分かりません。見るべきなのは、忙しい時間帯に、決まった業務の言葉を崩さずに言えているかです。
もう一つ注意してほしいのは、長さの崩れを理由に、日本語の力全体を低く見積もらないことです。発音の癖は目立ちますが、指示の理解や業務の段取りとは別の力です。力を分けて評価する方法は、別の記事に書きました。
有利な点もあります
つまずきやすいところだけでなく、有利なところにも触れておきます。
インドネシア語は、母音の種類や、一つひとつの子音の出し方が、日本語と比較的近い言語です。個々の音を正しく出すこと自体は、早い段階で身につきやすい。だからこそ、残る課題が長さに集中します。
裏を返せば、直すべき場所がはっきりしているということです。的を絞った練習が効きやすい条件が、最初からそろっています。
経営者が明日できること
- 現場でよく使う業務の言葉を書き出し、のばす音・小さい「っ」・「ん」が入っている語に印をつける。 それが最初の教材になります
- 研修の確認を、落ち着いた場面だけで終わらせない。 忙しい時間帯の発話を一度、聞いてみる
- 「もう一回言って」と言い直させる声かけを、「どっちに聞こえた?」と聞き分けを確かめる声かけに変える
- 長さの崩れを、日本語の力全体の評価に混ぜない
「もっと練習させよう」と思ったとき、一度だけ立ち止まってください。増やそうとしているのは、どの種類の練習でしょうか。聞き分けられない人に言う練習を重ねても、同じ場所でつまずき続けます。種類を変えれば、同じ時間でも結果が変わります。
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